今日は一日中バルセロナを観光します。
サクラダファミリア
サン・ホセ信徒協会の会長を務めていたバルセロナの書店主バカベーリャは聖家族に捧げる教会を造ろうと決意しました。ガウディは人生のすべてを聖堂を建設に捧げ、彼の才能と情熱を注ぎ込んだサクラダ・ファミリアはいつしかバルセロナのシンボルとなっていきました。
ガウディの死後80年たつ現在も、彼が残した設計図や模型をもとに建設が続けられており、一時は完成まで200年はかかるといわれたが、昨今の入場者数増加によって2020年頃には工事が終了する見込みとなっているそうです。
サクラダファミリアの入場料は10.5ユーロでかなり高額です。内部は他の大聖堂とはレベルが違い、きれいで荘厳な雰囲気があります。多くの観光客がおり、ショップには人が入りきれず並んでいました。
次はバルセロナの市街、旧市街に向かいます。
大都会のバルセロナ
バルセロナの街はかなり大きく、東京や大阪なみの大都市です。バルセロナは大きな都市であるのはもちろん、バカンスシーズンなのか多くの観光客で賑わっていました。
2017年にはこのバルセロナの繁華街でもテロ事件が発生し、ヨーロッパの都市はどこもテロとは無縁ではないことを知らしめられました。
バルセロナの市街をあとにしてカンプノウスタジアムに向かいます。
これはバルセロナのみならず世界中に熱狂的なファンをもつFCバルセロナの本拠地です。ほぼ15分間隔で催行されるスタジアムツアーはVIP席、ロッカールーム、ピッチなどをスペイン語と英語のガイド付きで45分かけてまわり、そのあと自由にミュージアムを見学します。オフィシャルショップにはバルサグッズが豊富に取り揃えてあり、多くの観光客で賑わっていました。
日本のamazonで購入した中古の地球の歩き方にはツアー入場料14ユーロ(\1.600)とあったのですが、いざスタジアムに行ってみると22ユーロ(\2.700)となっていました。
さすがに3人分払ってしまうと\8.100円になってしまうというのもありますし、そもそもFCバルセロナが好きなのか、と言われるとそこまで好きではないのでとりあえずミュージアムショップだけ入ってみることにしました。私はFCバルセロナのロゴが入ったグラスを購入しました。
フラメンコを見学
フラメンコを見物しようと地球の歩き方に掲載されていたライブハウスに行きました。なぜか受付が日本人の方でしたが、ステージに出てきたのはみんなスペイン人だったようです。会場は30~50人くらいの人がいる小さな会場でした。
フラメンコの起源は15世紀にスペイン南部にやってきた放浪の民・ロマ族の伝統的な踊りが、アンダルシア地方に古くからあった歌や踊りと結びついて発展したのがフラメンコの起源と言われています。歌、踊り、ギターがひとつになり芸術の域まで達しています。
まずは歌い手(カンタオール)、ギタリスタ(ギタリスト)、と太鼓のようなものを叩く男性たちのみステージに上り、さながら普通のライブのような様相を呈します。しばらくするとバイラオーラとよばれる女性の踊り手がステージに上がってきて、フラメンコをはじめます。なお男性の踊り手もいるようです。
肝心の踊りの方はというと、予想通り情熱的な演舞でした。入場してきたときには穏やかだった女性の表情も苦悶するかのような表情に一変し、リズムを刻むヒールの音も軽やかです。
そしてギタリストの奏でるリズムとヒールのタップ音が一致を見せたかと思うと、そのリズムはみるみるうちに強く加速し最高潮に達します。まさに観客が息をのむ瞬間です。最高潮に達して一瞬の静寂がおとずれたあとは、どこか安堵の雰囲気がライブハウス全体をつつみ、踊り手には笑顔がこぼれます。
さてバルセロナの夏の夜はというと、12時を過ぎて日付が変わっても日中と同じように賑やかです。大通りには大道芸人がおり、道を歩く人も多く、カフェやレストランの軒先で食事をする人も多く見受けられます。
こちらの人は店内で食事をするというよりはオープンテラスで食事をすることを好むようなので、飲み会をしている日本人が全員テラスで食事をしたらバルセロナの市街地と同じような光景に出合えるのかもしれません。
またバルセロナは日が落ちるのが9時を過ぎてからですので、彼ら、彼女たちにとって12時というのは日本で言うところ9、10時くらいの感覚なのかもしれません。
物を盗られそうになる
ライブハウスでフラメンコを鑑賞したあと駐車場に戻る途中に、チケットかビラらしきものを持った3人組の男に「じゃぽん?」と話しかけられます。私たちのうちの一人が適当にあしらっていると、急に壁に体を押し付けられズボンのポケットに手を入れられたそうです。この間10秒程度だったと思います。
悲しいかな日本人に限らずアジア人といのは欧米人に比較して体格的に劣りますし、力づくで迫られたらどうしようもない一面があります。
1. 親しく話しかけてくる人には相手にしない。相手にしないというのは無視すること
2. 危険な場所を避ける
3. 貴重品は分散させる。安易にポケットに入れない
ということが簡単にできる行動だと思います。やはりスペインのような先・中進国であっても夜の街は危険なのです。
クラブに向かう
深夜1時すぎになり、次はバルセロナでも有名なクラブに向かいます。このクラブに向かう途中にリムジンのような車が何台も同じ方向に向かいます。信号停車中に横を覗いてみると、なにやら若者が大音量で音楽をかけつつ車内パーティをしているようで、こちらの高校の卒業式なんでしょうか。
我々が向かおうとしているクラブは今日の午前中に行ったカンプノウスタジムの近くにあります。
クラブの近くまで来てみると、ほとんど裸にみえるような下着を身に付けた女性が道端に立っています。彼女たちは娼婦で、娼婦を求めて車でやってくる男性と交渉し、交渉が成立すればそのまま車に乗って夜の街へ消えていくようです。
暑いスペインの夏の夜ですから寒いとか震えるとかはないのですが、真夜中に急に派手な裸体が現れたので、こちらが身震いしてしまいました。
さてクラブはというと、ドレス服をきた女性たちもいるかと思うと、どこのスーパーにでもいそうなおじさん、おばさんまで多種多様な人々がいました。特段日本のクラブと変わったところはなく、アルコールを飲み、大音量の中ダンスするというのは変わりありませんでした。むしろバルセロナの夜の活況ぶりからすると、クラブにしてはおとなしい感じもしました。
日本人でありながら隣で踊っているスペイン人男性と心を通わせる瞬間はあったものの、早々にホテルに向かいました。
グエル公園
グエル公園に向かいます。
サクラダファミリアを設計した天才的建築家ガウディのパトロンであったグエルは、バルセロナを見下ろす山の手の地に60戸の宅地を造成し、緑に囲まれた閑静なイギリス風の住宅地を造成しようと考えました。
ところがこの宅地造成計画は、グエル家とガウディ家以外には一軒しか買い手がつかず、大失敗に終わります。ところがバルセロナはすばらしい公共公園を手にすることができました。
グエル公園は昨日の疲れが残っていた、高台にあるため坂を登る必要がある、観光客が多い、暑いなどの理由で十分に観光する気力は起きませんでした。
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